1877年(明治10年)の西南戦争から[1][3]、第二次世界大戦までの約4,500柱が埋葬[3]。約3,500基の墓石が並べられている。沖縄県以外の日本全国の兵士の他、中国・ドイツ・フランスの兵士の墓もある。
思わず手を合わせる
が、墓地を見て唖然とする・・・明治からの戦死者だった
戦前戦中の小学校教科書に登場した木口小平の名前が「日清戦争合同碑」に刻まれている。また、小山内建広鳥衛戌病院長(小山内薫や岡田八千代の父親)の本墓がある。
なお、現在は国有墓地として認められていないため、「比治山南広場」が正式名称
北海道から九州までの歩兵隊の人たちが祀られていた。
比治山にもこうした歴史が残されている・・・
ただし花の季節逃すと、何もない
わずかに花を見つけた
やっぱり降りてくると、そこには花畑・・・